藤井健仁 彫刻総覧 弐 彫刻鉄面皮 + NEW PERSONIFCATION

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藤井 健仁 Double Irony

東谷 隆司 (インディペンデント・キュレーター)

 

藤井健仁が用いる素材「鉄」。
そいつは紀元前から人類にとって最も加工しやすい素材であり続け、とりわけ18世紀後半から19世紀のイギリスの産業革命の時代以降、人類に多くの文明をもたらした。 熱く溶かされた鉄は、鋳型に流し込まれ、蒸気機関車をはじめとする重機械や工業製品、工具へと姿を変えてきた。
その一方、鉄が大砲・銃器など、夥しい数の人間を殺傷する道具にも鋳造されてきたのも事実だ。日本では、古来より刀剣にも鍛え上げられてきた。
藤井は鋳造のように鉄をエレガントに扱うのではなく、むしろ刀剣を鍛え上げるがごとく1枚の鉄板をハンマーで叩き、グラインダーで削り磨き上げる。その行為はいかにも野蛮だ。だが往々にして殺傷能力をともなう銃器や刀剣の持つフォルムがそうであるように、そこに叩き出された鉄の形状は、圧倒的に暴力的であると同時にセクシーである。


まずはその「暴力性」を如実に物語るのは、2002年から開始された 「鉄面皮」とも呼ばれる顔面のシリーズである。モチーフとなったのは、金正日、ビン・ラディン、ブッシュ、麻原彰晃、酒鬼薔薇聖斗、大阪での附属池田小事件での犯人(既に死刑執行済み)など。それらの顔が晒し首のように台座に並んだ様子を、藤井は「彫刻刑」とも表現した。
当然、これらの人物は世間的には独裁者、テロリスト、戦争の指導者、殺戮者と了解される人物である。しかし、それらをものにするために膨大な時間を要することを思え ば、藤井が単に彼らへの非難だけをもって作業に没頭しているのではないことがわかるだろう。
藤井は以前に自身のステートメントで、以下のように述べている。

―この様な彫刻を造る為には殺人を可能にする量とほぼ同じ労働量を必要とするのかも知れません。「存在の肯定(愛情に近い)」や「殺すこと」、それ らが「造ること」が同義語となった地点に立つ事によってはじめて像が完成でき るのです。―
「ストライプハウスギャラリー」ウェブサイトより、作家のコメント(2003年)を抜粋 http://striped-house.com/2004.08.html

ここに読み取れるのは、自身の「鉄を叩く」行為が、モチーフになった者たちが行った「殺戮」と同様のポテンシャルを持ちえることの自覚であり、ある種のシンパシーを禁じえないことの告白である。
その後、藤井のモチーフは、TVのワイドショーを席巻した卑近な人物にも及ぶようになる。そこには藤井の「殺してやりたい」という不穏な欲望と同時に「愛おしい」という感覚がより複雑に交錯する。「憎しみ」と「愛」が結びついた彼の中での二律背反する感情―すなわち「アイロニー」―が形をもって現前したとき、見るものは、己に隠された同様の心情を刺激されるだろう。


そういった彼の「暴力性」とも相まって一見「セクシー」なのが、彼のもうひとつのシリーズである、愛らしいシルエットの人形(ひとがた)である。銃器や刀剣がそうであるように、それらは野蛮な工程を経ながらも、しなやかでエロチックな表面で見るものを誘惑する。しかしこ こにも、やはり相反する要素―アイロニー―が同居している。女性性(femininity)と男性性(masculinity)だ。
―見可憐な少女たちは、その表情や細部を注意深く見れば、例えば口元は、 明らかに男根を連想されるように、男性性のイコンが随所に散りばめられている。藤井は、古来からの人形の伝統に則って、その姿を少女とするが、なぜ人形の多くが女性であったかといえば、男 根中心主義の歴史において人形/女性が男性の玩具でもあったことに由来する。藤井はその歴史を踏まえながらも男性性を批判するどころか、まるでハンマーが、グラインダーが、自身の男根であるかのごとく鉄に突きつける。
さて、「彫刻」として藤井の作品を考えたとき、彼は彫刻の伝統そのものへも野蛮な反抗を企てていることも付け加えたい。その最たる特徴が、彼が徹底して表面にこだわり、逆 に表面でない部分を捨象していることだ。
鉄面皮のシリーズでは、顔の裏側は空洞である。それは、彫刻では邪道とされた「面」だ。同時に、少女のシリーズでは、彼はそれを完全に人形(ひとがた)として割り切っている。この態度に、彫刻家としての怠慢を指摘するのは短絡的だ。それこそが藤井の、自身のモティベー ションへの忠実さである。象る部分は形作る。それも、殺人に匹敵する力を持って。しかし、それに値しない力は決して行使しない。


二つの鉄の作品群(double irony works)において、労働への欲望を喚起するのは、愛と憎しみ、あるいは男性性と女性性であるように、それぞれに異なっているかもしれない。しかし、藤井は、そういった相反する感情(double irony)にこそ突き動かされ、ハンマーを振り下ろし、磨き上げるのだ。


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